@misc{oai:sucra.repo.nii.ac.jp:00010216, author = {岩崎, 美智和}, month = {}, note = {v, 180p, 学位記号番号 : 博経済甲第22号, 本論は、日本の不良債権処理における制度的枠組みについて、歴史的な視点をもって、できるだけ総合的に解明しようとするものである。銀行が不良債権を処理するに当たっては金融監督機関の指導、償却・引当制度等の枠組みがあり、銀行行動に影響を与えていることは自明であろう。一方、先行研究において金融監督機関の指導、償却・引当制度等の不良債権処理に関わる制度的枠組みの制約が与えた影響等に言及しているものは存外少ない。制度的枠組みに対する認識をもつことはバブル崩壊後の日本経済を苦しめた不良債権問題を理解する前提として重要であろう。本論はこれら制度的枠組みの性格を歴史を追って分析を加えることで、その変遷を明らかにしようとするものである。 本書の分析は戦後の金融行政の骨格が形成された1949(昭和24)年から2000(平成12)年までを対象としている。対象とする制約としては、金融監督の指導については、不良債権処理に対する指導、金融検査、大口融資規制、また償却・引当に関しては貸倒の事実認識、貸倒引当金制度を中心に検討をおこなっていく。この検討を通じ、概ね1970年頃までは金融界の置かれた状況に応じ制度設計の変更がおこなわれ、不良債権の処理方法が深化してきたが、銀行の健全さを確認した1970年代以降20年間に渡り制度設計の変更が行われなかったことが明らかになる。この結果、通常の危険を超えるものとされるⅡ分類債権がもつリスクは顧みられることはなく、処理することが出来ないまま保有・先送りされ続けることとなり、バブル崩壊以降の不良債権増大につながったのである。各時代区分において重視する点は以下の通りである。 戦後復興期(1949〜1954年) 戦後の金融行政が体系的に開始された1949年から高度成長期にいたる復興過程を対象とする。戦後の混乱期のなか、レーディスによってもたらされた金融検査の定型化による銀行自己資本の把握とシャウプによってもたらされた貸倒準備金(引当金)制度による貸倒への備えにより不良債権に係る金融行政は方向づけられた。金融検査は①厳密な資産査定②査定結果による実質自己資本の把握③不良債権償却制度による貸倒の事実認定の3点を中心的役割として再生された。金融検査により金融機関の脆弱性を確認した金融当局は要整理債権的とされるⅣ分類債権・Ⅲ分類債権の処理を銀行に強制することなく、貸倒準備金制度を活用した対応を求めていったのである。 正常化期(1955〜1965年) 一人あたり国民所得が戦前の水準に回復した1955年から1965年不況に至る高度成長期前半を対象とする。「金融正常化」が中心目標として掲げられ正常化が達成されていく時期である。租税特別措置の整理に関連し貸倒準備金のもつ利益留保的側面が制限されると、金融当局は有税償却・引当による不良債権処理を求めていった。 成熟期(1966〜1991年) 高度成長期後半から安定成長期の終りまでの25年間を対象とする。1965年前後に銀行の健全性を確認した金融当局は統一経理基準において要整理債権的とされるⅣ分類債権・Ⅲ分類債権の一応の処理体制を完成させた。しかし、おそらく銀行儲けすぎ批判が影響したものと思われるが、貸倒引当金制度の法定繰入率が利益留保的と見做されたため、Ⅱ分類、特に米国基準Substandard相当の債権のもつ信用リスクに対する合理的な管理に係る制度設計がおこなわれなかった。このためⅡ分類債権のもつ信用リスクは保有・先送りされる体制となった。適正な管理体制を欠いた中でのバブル崩壊による企業財務の悪化は不良債権の拡大につながった。また、この時期大口融資に対する明示規制が制定・法制化されたが、その主眼はむしろ信用リスク管理にはなかった。 バブル崩壊期(1992〜2000年) バブル崩壊から2000年までを対象とする。バブル崩壊後Ⅱ分類債権の処理が求められ、Ⅱ分類、中でも米国基準Substandard相当の債権に関する認識・処理方法が拡充していくが、バブル崩壊過程で積みあがった信用リスクは従来の金融当局による通達行政では処理することができず、早期是正措置等法的規制による枠組みの導入、それにつづく立法府の関与により最終処理(把握・引当のみでなく、「債権放棄」によるバランスアウト)が図られ、金融支援の中心も「債権放棄」となったのである。, 指導教員 : 埼玉大学大学院経済科学研究科教授 伊藤 修, text, application/pdf}, title = {不良債権処理の制度的枠組みの変遷}, year = {2007}, yomi = {イワサキ, ミチカズ} }