@article{oai:sucra.repo.nii.ac.jp:00017150, author = {大塚, 秀高}, journal = {日本アジア研究 : 埼玉大学大学院文化科学研究科博士後期課程紀要, Journal of Japanese & Asian Studies}, month = {}, note = {西王母は古く『山海経』に異形の姿を現すが、のちには不老不死の仙薬や蟠桃の管理者として、人間界の帝王などと交会するようになる。当初の両性具有の存在から女性原理の体現者に変化したため、男女の交会により自らの不老不死の能力を更新する必要が生じたためであろう。しかし人間界に交会の相手を求めるのは困難であり差しさわりもあると意識されたのであろう、西王母の対偶神としての東王公が創出され、これと歳に一度の交会を果たすようになった。ところが道教のパンテオンのなかで、東王公が天帝、西王母が女神の最高神となるや、両者の交会は不適切と感ぜられるようになってしまった。かくてその役割は織女と牽牛という第二世代にバトンタッチされた。原西王母の継承者である織女は、道教パンテオンにおいて間もなく西王母の娘に相応しい「夫人」の地位を得たが、男性原理の体現者を人間界に求める必要がある点ではそれまでと変わらなかった。これが『新話摭粋』(や『緑窗新話』)の遇仙類に見える、「遇」や「歓」を求める仙女の正体であり、「楊家将」に代表される、数世代に亙る武将一族の物語において、戦場で男将と闘い、これを実力で負かして捕虜にしたうえ強引に夫とする(陣前比武招親)、女仙に師事する女将の正体であった。いいかえれば、「陣前比武招親」する女将は西王母の第二世代であり、その師事する女仙は西王母だったのである。このモチーフを「西王母交会モチーフ」というとき、「西王母交会モチーフ」は後の才子佳人小説の中にも形を変えて使われていた。「西王母交会モチーフ」は中国の小説史において極めて重要なモチーフといえよう。, text, application/pdf}, pages = {81--94}, title = {西王母の娘たち : 「遇仙」から「陣前比武招親」へ}, volume = {8}, year = {2011}, yomi = {オオツカ, ヒデタカ} }