@article{oai:sucra.repo.nii.ac.jp:00017163, author = {福岡, 安則 and 黒坂, 愛衣}, journal = {日本アジア研究 : 埼玉大学大学院文化科学研究科博士後期課程紀要, Journal of Japanese & Asian Studies}, month = {}, note = {鹿児島県にある国立ハンセン病療養所「星塚敬愛園」で暮らす、70代男性のライフストーリー。  語り手のKKさんは、1934(昭和9)年、宮崎県生まれ。1955(昭和30)年12月、21歳のとき、敬愛園に収容される。「ここへは治療しに来たんだ」と、園内での患者作業を一貫して拒否。園内での結婚もしなかった。1998年に提訴された「らい予防法」違憲国賠訴訟では、早い時点で原告になって闘った。2010年7月の聞き取り時点で76歳。聞き手は、福岡安則、黒坂愛衣、金沙織(キムサジク)、北田有希。2010年10月と2011年6月には、補充聞き取りをおこなった。  KKさんがハンセン病の症状に気付いたのは、14、5歳のとき、右手の小指が曲がるなどの、ごく軽い症状だった。ある時期から、保健所職員が療養所入所を勧めに、KKさんの自宅へ来るようになる。21歳のとき、同じ村のYTさんが、ハンセン病の症状が重くなり、敬愛園に入所することになった。KKさんも「家族に迷惑がかかる」と入所を決意。YTさんと一緒の収容バスに乗った。  KKさんは、敬愛園に入所してまもなく、すでに自然治癒し、無菌であることが判明。「無菌なら、なぜ収容したのか。家へ帰せ!」と医者に訴えたが、「予防法があるから」と退所を認められなかった。KKさんは入所後、ハンセン病治療を受けたことは一度もない。手の指に傷ができると、医局では「落としたほうが治りが早い」と切断された。さらに、若いインターンの医者の「実験台」にされて、神経が切られ、顔が歪んでしまった。  KKさんは、国賠裁判の原告に立った思いを「カネじゃない。人間がほしかった」と語る。熊本地裁勝訴後の控訴阻止の闘いの局面では、ひとり、ハンガーストライキをして頑張りぬいた。, text, application/pdf}, pages = {135--152}, title = {ぼくは治療に来たんだと、患者作業を拒否 : ハンセン病療養所「星塚敬愛園」聞き取り}, volume = {9}, year = {2012}, yomi = {フクオカ, ヤスノリ and クロサカ, アイ} }