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石川淳「山桜」をめぐって : ネルヴァルから秋成へ、あるいはロマン主義の克服
https://doi.org/10.24561/00018947
https://doi.org/10.24561/00018947c1b7c22f-3e26-41d0-a5fc-b058a72b2f04
名前 / ファイル | ライセンス | アクション |
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KY-AA12017560-5502-17.pdf (479.5 kB)
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Item type | 紀要論文 / Departmental Bulletin Paper(1) | |||||
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公開日 | 2020-04-20 | |||||
タイトル | ||||||
タイトル | 石川淳「山桜」をめぐって : ネルヴァルから秋成へ、あるいはロマン主義の克服 | |||||
言語 | ja | |||||
言語 | ||||||
言語 | jpn | |||||
キーワード | ||||||
言語 | ja | |||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | 石川淳 | |||||
キーワード | ||||||
言語 | ja | |||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | 「山桜」 | |||||
キーワード | ||||||
言語 | ja | |||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | 「普賢」 | |||||
キーワード | ||||||
言語 | ja | |||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | ジェラール・ド・ネルヴァル | |||||
キーワード | ||||||
言語 | ja | |||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | 上田秋成 | |||||
資源タイプ | ||||||
資源タイプ識別子 | http://purl.org/coar/resource_type/c_6501 | |||||
資源タイプ | departmental bulletin paper | |||||
ID登録 | ||||||
ID登録 | 10.24561/00018947 | |||||
ID登録タイプ | JaLC | |||||
タイトル(別言語) | ||||||
その他のタイトル | On Ishikawa Jun’s “Yamazakura” : from Gérard de Nerval to Ueda Akinari, or Overcoming Romanticism | |||||
言語 | en | |||||
著者 |
杉浦, 晋
× 杉浦, 晋 |
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著者 ローマ字 | ||||||
言語 | en | |||||
値 | SUGIURA, Susumu | |||||
著者 所属 | ||||||
言語 | ja | |||||
値 | 埼玉大学大学院人文社会科学研究科教授 | |||||
書誌情報 |
ja : 埼玉大学紀要. 教養学部 en : Saitama University Review. Faculty of Liberal Arts 巻 55, 号 2, p. 259-273, 発行日 2020-03 |
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年月次 | ||||||
値 | 2020 | |||||
出版者名 | ||||||
出版者 | 埼玉大学教養学部 | |||||
言語 | ja | |||||
出版者名(別言語) | ||||||
出版者 | Faculty of Liberal Arts, Saitama University | |||||
言語 | en | |||||
収録物識別子 | ||||||
収録物識別子タイプ | PISSN | |||||
収録物識別子 | 1349824X | |||||
収録物識別子 | ||||||
収録物識別子タイプ | NCID | |||||
収録物識別子 | AA12017560 | |||||
概要 | ||||||
内容記述タイプ | Other | |||||
内容記述 | 石川淳の短篇「山桜」(一九三六)に死んだ女性の幻影があらわれるのは、「わたし」が「ネルヴァルのマント」を想起したことをきっかけ=入口としている。それはテオフィル・ゴーチェらの回想や、唯物史観に照応したアーサー・シモンズの文学史から石川が受け取った、ジェラール・ド・ネルヴァルの「文学的形象」に基づく。それは自殺、狂気、夢というロマン的なシニフィエをはらみ、象徴主義につらなる一九世紀の文学を表象し、フランス革命後の小市民共和主義者によるロマン主義文学運動を想起させるものであり、長篇「普賢」(一九三六)にも投影され、小林秀雄、坂口安吾なども共有していた。そして、物語の最後で幻影は消滅し、あとに立ちすくむ「わたし」が残される。その姿は、こうした「文学的形象」を克服し、二〇世紀の新しい文学にむかう決意のあらわれとみなされる。石川は、そのためのきっかけ=出口を、まずポール・ヴァレリーに、また近世文学史の見取図をふまえて上田秋成に認めていた。 | |||||
言語 | ja | |||||
版 | ||||||
値 | [出版社版] | |||||
出版タイプ | ||||||
出版タイプ | VoR | |||||
出版タイプResource | http://purl.org/coar/version/c_970fb48d4fbd8a85 | |||||
資源タイプ | ||||||
内容記述タイプ | Other | |||||
内容記述 | text | |||||
フォーマット | ||||||
内容記述タイプ | Other | |||||
内容記述 | application/pdf | |||||
作成日 | ||||||
日付 | 2020-04-20 | |||||
日付タイプ | Created | |||||
アイテムID | ||||||
値 | KY-AA12017560-5502-17 |